『跪け、愚民ども』




 初めてそのCMを見た時、のび太は我が目を疑った。

 本気?
 何かの冗談じゃないの?

 と。

 一瞬、ドラマか映画の宣伝かと思った。
 しかし、その後に続いた機械的な女性の声に、そうではないことを知り愕然とする。

『ゴ主人様ノ命令ニモ即平伏。
咄嗟ノ動キヲ妨ゲマセン。
香リモ控エメ、寵愛ヲ逃シマセン』

 そして現れるのはスーツ姿でなぜか鞭を持つ、のび太も良く知る男。
 そのいやらしいほど妖艶な微笑みにのび太は思わず赤面した。

『爽快湿布薬
・伸縮楽々
・効果持続
・微香』




 そんなテロップが画面の端に流れ、最後に製薬会社のロゴが大写しになって終わるこれは、れっきとした湿布薬のCMであった。



 時間にして約20秒。のび太は、開いた口を塞ぐこともできずに画面に見入っていた。


「……ひゃあ〜……」
「何間抜けな顔してんの?」
「うひゃっ」


 見入っていたところに突然背後から声をかけられたものだから、のび太は驚いて飛び上がりそうになる。
 その声が、先ほどテレビで鞭を握っていた男のものだったから、尚更。

「で、で、出木杉〜」
「何?」




 幼馴染で、最近一緒に暮らすようになったこの男は、のび太にとっていつまでも謎の存在だ。
 昔から何でもできる優等生で女の子にもモテモテ。ドラえもんがいなければ何にもできないのび太とは住む世界の違う人間だった。
 そんな彼に『のび太が好きだ』と言われ、強引に同棲にまで持ち込まれたのは、まだほんの1ヶ月前の話。

「帰ってたんだ」
「うん。ついさっきね。声かけたんだけど、何かテレビに見入ってて気付かなかったみたいだから」

 あの時も、コイツは一体何を考えているのだろう、と思った。



 大体にして、頭の作りが違いすぎるのだ。その思考を理解しようと思う方が馬鹿なのかもしれない。



「何見てたの?」
「出木杉が、テレビに出てた」
「え?ああ、あのCM見たの?」
「見た」



 一体いつの間に撮影したのだろう。全く気付かなかった。
 そういえばいつもより帰りが遅い日が続いたことがあったかもしれない。特に気にも留めなかったから、『あったかもしれない』というに留まるのだが。

「どうだった?」
「どうだった?って」

 出木杉は問いかけておきながらくるりとのび太に背中を向けた。慌てて目で追いかけると出木杉の肩をシャツが滑り落ちていくところだった。



 かぁ、と頬に血が昇るのが分かった。



「どうしたの、真っ赤な顔して」

 ラフな格好に着替えた出木杉が戻ってきて、心配そうにのび太の顔を覗き込む。

 さっきのCMで見たのとは別人のような表情。
 セックスとか、そんな下世話なことは一切知らないとでも言い切れそうな清潔感に溢れた表情に、のび太は一層困惑する。

「だ、だってだって、出木杉やらしいよ」
「え?」
「あんなやらしい顔して…」

 ますます顔が赤くなるのを自覚する。これではまた、出木杉にいいようにからかわれるネタになってしまうではないか。

 案の定、出木杉はにやりと唇の端を歪めた。何か企んでいる時の顔だ。

「のび太のこと、考えてたんだよ」
「…え…」
「あの時、のび太のこと考えてたんだよ。そりゃやらしい顔にもなるだろうさ」

 だって、僕は君が好きなんだから。

 そう、こともなく続ける出木杉に目眩がした。



「僕にあんなことしたいの?」

「あんなことって?」
 す、と出木杉の目が細められる。寒気がする。

「む、鞭で叩く…とか。僕を跪かせたいの?」
「…」

 ゆっくりと顔が近付いてきた。吐息が頬にかかる。
 蛇に睨まれた蛙のように、もう、身動きが取れなかった。

「したい…」
「んっ」

 囁きと同時に耳朶を噛まれた。

 たったそれだけ。それだけなのに、息が上がって。

 出木杉は、魔法まで使えるのだろうか、などと詮無いことを考える。そうでなければ、こんなにあっさり流されてしまうなんて、考えられない。

 だって怖いのに。鞭で叩きたいとか、跪かせたいとか言う出木杉が、怖くて仕方ないのに。




「…って言ったら、させてくれるの?」

 え?



 出木杉はのび太から少し距離を置いて、反応を伺った。
 のび太はしばらく唖然としていたが、すぐに真っ赤になってぷるぷると震えだす。

「誰が…誰がさせるもんか!馬鹿!」

 のび太は勢い良く立ち上がると、どすどすと足音も荒く歩き出した。

「のび太、どこ行くの?」
「トイレだよ!」

 怒り狂っています、と言わんばかりの顔と口調ながらも、律儀に振り返って言うのび太に笑いがこみ上げる。
 本当に、かわいいひと。



 出木杉も、軽く息をつくと立ち上がり、キッチンに向かう。大切な大切なのび太のご機嫌を取るべく、今晩の食事は腕を振るわねば。



「のび太、すぐにご飯にするからね」

 トイレに向かって声をかけるが返事がない。相当怒っているらしい。
 出木杉は少しだけ笑ってまな板を手に取った。



 叩きたいとか、跪かせたいとか、そんなこと本当は思ってない。
 のび太は大切な人だから。跪くとするならばむしろ自分の方だろう。

 ああ、もちろん、のび太が自主的に跪いて爪先にキスをしてくれるというのなら、それはそれで嬉しいけど、と出木杉は心の中で付け足す。
 けれど、鞭で叩くことは、仮にのび太が望んだとしても、できそうにはない。あの愛しい体に傷を付けるなんて。



 あの鞭は、のび太こそが持つべきで、僕に忠誠を誓わせるべきなのだ。きっと、僕は喜んで跪くだろう。
 そして、あの鞭を僕が持つのなら、それはのび太を叩くためではなく、のび太と僕を引き裂こうとする愚かな奴らから僕らを守るためだ。

 そんなことを考えながら夕食の準備を進めていくうちに、背後でトイレの扉が開いたのが分かった。
 躊躇いがちに、のび太が出てくる。

 何か言いたそうに見つめているのを感じる。けれど、言葉は声にならないようで困っている。

「もうすぐできるから。向こうでテレビでも見てて」

 だから、振り返って助け舟を出してやる。そうするとのび太ははっとしたように顔を上げるのだ。

「うっ、うんっ。じゃあ僕、飲み物の準備をするね」
「ありがとう」

 本当は、そんなことすらさせたくないのだけれど。






 この世界にたった一人君臨する、僕にとってのご主人様。
 これからもずっと、僕はその人に跪き続ける。








End
瑠璃様(re-born


†††††  作者様よりコメント  †††††
実は、今回時雨様に捧げるべく書いたのは一応デキノビなんですが、
時雨様の現在のTop絵をベースにしています。
あの妖艶で不敵な出木杉くんが大好きで、つい、SSにしてしまいました。



99000キリ番踏み人、瑠璃さまからの頂きものです♥
なんと、私の(もう過去TOP絵になりましたが)「CM〜爽快湿布薬編」をベースにしてくださったと!
あああありがとうございます〜vvvとってもとっても嬉しいです!(#^v^#)/
自分の絵に小説を付けて頂けるとは、すごく光栄ですvvv
この出木杉、かなり黒いですよ真っ黒ですよ〜!
強引に事を進めるかと重いきや、あっさり引いたり、しかも内心のび太くんをご主人様扱いしてたり…!
わ〜や・ば・げ☆
のび太くん、振り回されて流されてここまで来ちゃったのね…(笑)♥
素直なのび太くんがとってもキュート♥
出木杉がメロメロになっちゃうのも分かります!
瑠璃さま、とっても素敵なSSをありがとうございました〜!(#^3^#)/



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